アメリカに行く!
まずは私ことの話から、1985年、まだ留学すらポピュラーでなかった頃、
学校のサマー留学に反対された私は、なんとかアメリカに行けないかと調べまくった。
当時はインターネットなんてないので、留学ジャーナルとか(そんな前からあるんです)、知り合いに聞いたり、集めて集めてやっとたどり着いたのが1年の交換留学のスカラーシッププログラム。当時は日本で2件しかやってないプログラムでした。
ただし留学生人口も少なかったので、面接、エッセイで合格、不合格が決定。
実はなんにもアメリカのことなんて知りませんでした。
ただ行ってみたかっただけ、反対されたからもっと行ってみたくなっただけ
でも合格しちゃったんです
流石に反対の親も1年という約束で、400ドルの生活費でOKを取り、まずはビザの手続き。
学校とホームステイへのエッセイ(英語だけで各10ページほど、、辛かった、、、)
まずは英語学校3ヶ月ということであっという間に渡米の日がやってきた(ほんとに時間がないの、、)
高校生4名で、添乗もなし、
はじめてのハードルは、空港の移民局、、、
how long are you staying in US?
What is object being US?
などなど、今なら簡単で流しても聞けることが、、、さっぱりわからなかった
空港の通訳さんを呼ばれてやっと通過
空港にはお迎えがきており、ワシントン州、片田舎の町の英語学校へ~
来てみてびっくり、すごい田舎!
寮のあるキャンパスは、シカもスカンクもでる!
何もないよ、、、
ルームメイトはヒスパニック系(たぶん)のでっかい大学生
4つの部屋にリビングが一つ
何を言われてもさっぱりわからない
一緒に来た女の子の一人といきなり必要なものの買い物?(オイオイ)
バスもわかんない、、、英語もわかんない、、、辞書だけ持って調べたドラックストアに行くために出発。
バス停に、、、ついたけど、
でもこれがドラッグストアに行くのか、わからない、
歩いてみるかと歩き出す、、、歩く、歩く、歩く、、、ってつかねーよ!(Google Mapがあれば時間もわかったのにねぇ、、)
1時間ほど歩いてやっと到着
生活必需品の消耗品をGET!
帰りは、もう歩くの限界だったので、バス停に来たバスの運転手さんに学校の名前を行って、、教えてもらいました
バスもとまってくださーいのボタンの代わりに、紐がついてる、、
知らなかった私は、、このひもなあに?とばかりやたらと引っ張っていると怒られた(泣)しらなかったんですーーーーすみません
ドラックストアに行って帰るだけのために4時間もかかりました 😅
これが、私のアメリカ、はじめての日